小林秀雄を語る

この本は文学者・小林秀雄をテーマとする形で中野剛志と適菜収が対談する内容です。
小林秀雄はここではリアリスト・(プラグマティスト?)と位置づけられております。

また「既成概念を使って安易に納得せず何が発生しているかよく見なければならない」そして「近代社会で論理的合理的に理性的にものごとを考えることに落とし穴がある」と主張しています。

世の中には言葉に表せないことが多く「個別のもの瑣末なことをきちんと見るべきだ。それにより抽象度をあげることによる危険性をふせげる」と言っているのです。

ところでこの表題はこじつけに見えるかもしれないが、この本に流れるリアリズムに影響された結果だとご理解いただいて差支えありません。

まずこの本の内容のご紹介から始めますと、何人かの学者や評論家の批判から始まります。
やり玉にあがったのは丸山真男です。彼こそリアリズムと真逆な理想主義者であり理論家で著者が最も嫌うタイプなのです。

次に藤井聡、武田邦夫、橋下徹、三浦瑠璃をあげております。コロナに対する発言の変節や陰謀論的体質を批判しております。状況の変化を素直に認めればよいものの、前言が状況に合わなくなっても言い訳にもならない決めつけや責任逃れの態度を臆面もなく続ける姿勢が気に入らないと云っております。

思想は個人のもの、運動は集団のものだから、「思想運動」などは邪道だと決めつけております。私にはこれは左翼批判だと受け取りました。

私は以上の主張に全面 的に賛同するものではないが、新型コロナウイルスに関する記述には、なるほどと頷けるものが多々ありました。



横浜市長選はいよいよ22日に迫ってまいりました。ここでこれに関しこの本から得られた「些細な事の重要性」に気づかされる面がありましたので付記しておきます。

選挙戦終盤になっていよいよ菅氏の推す小此木八郎氏と野党連合の推す山中竹春氏の対決がクローズアップされてきました。

ここに突如として現れたのが郷原氏です。郷原氏は元検事でリベラルの旗手と謳われた人です。はじめは自ら立候補の意思でしたが、今は立候補せず落選運動に徹する立場を表明しております。

当然その対象は小此木氏と山中氏だと云われます。ところが最近の動きを見ますと小此木氏に対する発言より山中氏に対する批判が圧倒的に強くなっております。有名なユウチュウバーのサイトにも登場し山中氏に対する攻撃を徹底的に繰り広げております。

善意に考えれば郷原氏は自己の理想とする正義感に基ずく行動のように見られますが、私は「思想の免疫力」を読んで、「思想は汚染されたイデオロギーに堕する」「思想は個人のもの運動は集団のもの従って思想運動などは邪道」と云う主張が頭に浮かびました。

ところで郷原氏の主張が間違っているのではないか。正義感に基づくものでも何でもなく、細かい事実を見逃した完全な誤解であると理解しました。

そのことはこの本にも示唆的なことが書いてありました。

大学の指導教授は自分の研究室から学位をとれる人材を発掘するのに懸命なのです。
優れた学問の師匠は弟子を甘やかすことなく厳しい指導をするけど怒鳴り散らしたりはしない。逆に思想運動の指導者はハラスメントによって徒党をまとめあげる。

このくだりは重要です大学の指導教授が学位をとる人材を育てる事を目的にすればするほどハラスメントで無くても、学生は見込みがないと 思えば自ら去っていくケースが多々見受けられるのです。

これが誤解を解く鍵ではないかと私は思います。



次回は古賀茂明氏の著書「官邸の暴走」をとり上げて書評を書くつもりです。
著者は経産省出身で政権内部にいた存在です。このため政権内部の細かい事実を知っております。貴重な証言が得られるのではないかと期待しております。