2020-12-13

今朝のラジオ番組で経済アナリスト森永卓郎氏から、次の趣旨の発言があった。
「スマホ料金の引き下げは良かったが、その手続きには大いに不満がある。ドコモの格安スマホの申し込みについてだ。

インターネットでしか申し込めない仕組みだ。ところがこの手続きがとんでもなく煩雑なのだ。私はパソコンの操作にはある程度慣れている方だが、いきつもどりつ、まる一日時間を取られてしまった。一般のお年寄りにはとてもでないが手が出ないだろう。これでは格安スマホを普及させる意思がないと云われても仕方がない」

私も同様の経験をしたので便乗して不満を記します。

このサイトで使っているサーバーについての不満だ。コロナが問題化した今年の前半からだったと思う。サーバーの利用や操作に関する疑問はそれまでは電話で解決できていた。それが突如電話サービスは停止すると云うことになった。

サービス窓口は管理画面の一定のフォーマットでしか受け付けなくなったのだ。そのフォームもいかにも事務的で一問一答でふるいにかけてくるのだ。そのフォームに事例がなければそこでもうストップだ。

ご承知だと思うが事PCに関しては非常に複雑な課題が多く専門用語も多発どころか連続する。アメリカ生まれだから仕方がないかもしれない。私は森永氏と同じく30年以上も経験して、多少のトラブルシューティングは自己解決できる自信がある。ところが電話では一回のやりとりで解決できる問題が例の事務的ロボットにかかると少なくとも5~6回のやりとりが必要となる。それで解決できればまだ我慢できるが、ロボット野郎にかかっては迷宮入りとなる可能性がはるかに高い。

ただ、ロボット野郎を弁護するとすれば、全くの素人の質問は電話ではロボット野郎の方が参ってしまう「勉強して出直してこい」と云いたいところだろうが、相手がお客さんである以上そっけなく扱うことはできず、延々と時間ばかり浪費してしまう。だからサービスはいつも話し中なのだ。コロナ対策を理由に電話対応を中止する気持ちはよくわかる。

こんなことは他の業界のサービス窓口にも共通する悩み事かもしれない。コロナによってもたらされた、NewNormal(新常態)の共通課題かもしれない。

年の瀬にあたり、激動する社会の変化に備え、私自身がこれからどう生きるべきかを真剣に考えてみました。参考になるかどうかは分からないが、「余命少ない老人の覚書」として、うけとっていただければ幸いです。
先ず、このサイトで何度も紹介した「ある投資家の警告」を再度記します。本テーマのヒントとなると考えたからです。


まだインターネットが使えない人がいる。主に高齢者や貧困層が時代に取り残された。彼らは「自分には無縁だ」「分からないから使いたくない」という意識が強いので、いつでもインターネットを使える環境を整えられたとしてもそれをしない。

その結果、完全に時代に取り残されて不利益の中で生きている。今 まさに、時代に取り残されようとしている人たちもちろん、インターネットができなくても、現代社会で生きていこうと思えば生きていける。現に、高齢者の中には「一度もインターネットなるものを使ったことがない」という人も多い。自分たちの子供や孫がそれを使って楽しんでいるのを横目で見ながら、あるいは街で若年層がスマートフォンで何かしているのを見ながら、自分たちは絶対にしない。

それで生きていけないのかと言われれば、そんなことはない。生きていける。しかし、この時代にインターネットを使わないで生きるというのは、あまりにも非効率で前時代的で危険な生き方だ。

インターネットをしている人間は彼らの非効率さが分かるのだが、インターネットをしない人間は自分の非効率さが正確に分からない。時代に遅れているのは薄々勘づいているのだが、どれだけ遅れているのかというのは分かっていない。インターネットを知らないのだから分からなくて当然だ。

これから来る金融分野のイノベーションは、それと同じインパクトがある。紙のお金だけしか使わない人は、どんどん世の中から遅れていき、自分がどれだけ前時代的で危険な生き方をしているのか知らないまま取り残されていく。


来年は激動の始まりの年です。私が生まれた1930年代の昭和大恐慌と酷似した経済状況が迫っててきています。前の投稿でその実態を報告したつもりですが、日本の中央銀行の債務超過=デフォルトが我が国にとって如何に危険な事態か分かっていただきたいのです。

日銀が独立性をかなぐり捨て政府と一体になって進めた超金融緩和は、戦時経済と同様な金融の膨張を招き、国民に大きなツケを残しました。ここで戦時経済の歴史をたどってみましょう。

第二次大戦は、膨らみ続けた戦時経済そしてその破綻、後始末には国民に筆舌に尽くしがたい艱難辛苦と痛みをもたらしたのです。

日本総合研究所調査部主任研究員河村小百合氏のレポートより

第二次世界大戦当時の1944年度末において国の債務残高は国内所得の260%を超える水準であった。昭和21年10月19日には、「戦時補償特別措置法」が公布され、いわば政府に対する債権者である国民に対して、国側が負っている債務金額と同額の「戦時補償特別措置税」が賦課された。戦時補償債務については、これを切り捨てる決断を下し、国民に対して政府の負っている債務と同額での「戦時補償特別税」の課税も断行した。そして、これらの課税に先立ち、順番としては一番先に、預金封鎖および新円切り替えが行われている。

現在進められているQEの弊害は、戦時中の軍事費調達のための超金融緩和が戦後のハイパーインフレを招いた事態とは全く異なり、円高を伴うデフレの深刻化を伴っていることです。
加えて新型コロナウイルス感染急増による世界の貿易環境の悪化は、大幅なGDPマイナス幅の拡大につながり個人消費の減少=企業収益の悪化を招いています。結果として、国全体が膨大な財政赤字を抱え込む事態となります。


自己防衛の本能

歴史から学ぶべきことは「悪い情報には目をつぶる習性」を捨て現実を直視することが必要です。ここで話をガラリと変えて、危機情報をいかに獲得するか、動物の生態を参照してみましょう。

体長70㎝ほど、翼開長130㎝もある大型のサギの仲間、サンカノゴイ。個体数は決して多くはなく、環境庁の絶滅危惧種のカテゴリーでは、絶滅危惧IB類(EN)に指定されています。サンカノゴイは危険を感じると、長く首を垂直に立て周囲の枯れた葭などに同化するかのように直立不動の姿勢で、身を守るといわれています。

タイトルの写真は伸び始めた若い稲の中から、周囲を窺うために頸を持ち上げたところで、非常に用心深いため日中その全身を観察することは容易ではありません。

鳥類でさえ自分や子孫を守るため懸命に外界の様子をサーチし、情報を集めているのです。小鳥が巣から頭を出しあちこち見回している姿を見た覚えがあるでしょう。雛を守るため。その姿は真剣そのもの、生きるために自然に備わった本能のようなものです。ぬるま湯につかった、茹でガエルのような人間は、この自然界の本能を失ってしまったのかもしれません。

それではどの様に情報を集めたら良いのかを検討してみましょう。そこで注目されるのが、情報収集能力です。ただ闇雲に大量の情報を集めるだけなら誰にでもできる環境が整っているのですが、重要なのはこの洪水のようにあふれている情報の中からいかに自分に必要な情報を探し出して収集することができるかという部分です。

自分の糧となる情報収集のために必要なことをまとめてみると、以下のようになりました。

自分の意見を持ち、それをベースに情報に接する
特定の情報源に偏らず、幅広い視野を持つ
さまざまな情報から共通点を見出し最大公約数を導き出す
全体像を常に意識して「木を見て森を見ず」に陥るのを防ぐ

言い換えれば、白か黒かでなく、このサイトのテーマともなっている「多様性を認めること」が、役に立つ情報の収集の必須条件なのです。

私は情報収集のカギは検索技術にあると思っています。それは and or not のようなテクニカルな問題ではないのです。結論を言えば、「検索キーワード」を如何に適正化するかです。如何に適正な「検索キーワード」を見つけ、それで効果的な検索をするかです。

検索は試行錯誤を重ね、キーワードを最適化するプロセスが重要です。人と人とのコミュニケーションから得られる情報は、質の高さが大きな魅力です。より質の高い情報を得るためには自分から人脈や人間関係を作っていく必要がありますが、それゆえに得られる情報の価値は高く、失いたくない情報チャンネルです。

「知って、行って、見て、会って」と動き出す勇気を持つことです。行動こそ激動の時代を生き抜く秘策ではないでしょうか。

鳥のように危機感を持とう。そして外界に関心を持とう。徹底的に検索し情報を集めよう。そして身を守ろう。くれぐれもゆでガエルにならないよう!

以下『マンさんの経済あらかると』斎藤満氏

政府は「両立」と言いながら、政策は経済優先で、感染防止は個人・企業の努力に委ねられてきました。コロナ第3波が襲来している今、政策の軸足を感染防止に傾ける必要があります。感染防止に軸足を移すには、個人や企業の行動を制限することになり、その経済的不利益をカバーしなければなりません。(『マンさんの経済あらかると』斎藤満)

やはり「自己防衛」しか危機を乗り切る方法はないのでしょうか?