多様性を封じる「エコーチェンバー」の危険
「参議院選挙は 立憲&共産が自滅します」と云う投稿がSNSでありました。
以下はこれに対する私のコメントです。
ウクライナをめぐる日本の左翼の不思議な行動。
共産党も社会党もウクライナのロシア侵攻を侵略と規定し、結果的に、ロシアに対する制裁に賛成していることになる。よく考えてみるとこれは欧米の側にたった立場で、米国に追従する日本政府の立場と同じだ。そして野党がとるべき「停戦を求める立場」に逆行している。
ロシア憎しのあまり、日本の左翼はウクライナの紛争を偏見で見ていることになる。もともと左翼はダブルスタンダードを得意とする。この点ではアメリカのダブルスタンダードと共通する。
本来、欧米型の民主主義・自由主義・人権などは、二面性がある。アメリカのイラク戦争・ベトナム戦争は民主主義・自由主義・人権などを守る美名のもとに大量の犠牲者を生んだ。
今ウクライナ紛争についてもこれを繰り返すことは許されない。
従って日本の左翼に求められることは「即時停戦」の一語に尽きる。断じてダブルスタンダードは許されない。
現に経済面では、一方的制裁によるブーメランが起り、 エネルギー・食料・生産財など急激な物価上昇で国民の生活が破壊されているのではないかと心配されている。
多様性は平和の根源だ。多様性を否定するものは、多様性からの厳しい反撃を受ける。
以上の観点から前の投稿で約束していたマシュー・サイドの著作「多様性の科学」の紹介に移る。
多くの多様性の否定に伴う失敗例の中から、最初に出てくる下記の「9.11に関するCIAの失敗」の事例を挙げたい。
1964年当時、 CIA の一組織、国家評価室の職員に黒人系・ユダヤ系あるいは専門職の女性は一人も見られずカトリック系もごくわずかだった。 1967年には事務員を除く約12000人の CIA職員の中でアフリカ系アメリカ人は20人に満たないことが明らかになった。
元 CIA 人事担当者によれば1960年代の CIA はアフリカ系アメリカ人のみならずラテン系その他のマイノリティも採用していなかったという。その傾向は1980年代に入っても続いていた。冷戦後はさらに多様性を失っていく。 もちろん CIA 職員の中にはムスリムは存在していないも同然だった。
その後、CIA人事部が重い腰を上げ採用したCIA の数少ない女性の幹部カーメン・メディナはこう言っている 「CIA は多様性のゴールを達成していません。アメリカの国家安全を守る組織がたった一つの世界観で物を見る人間ばかりで組織されていては、敵を把握して何を計画しているか予測することなどできません。
まずそれをインテリジェンス・コミュニティが理解し多角的な視点で世界を鳥瞰できる組織づくりを先導していくことが重要だと思っています」。彼女はさらに続ける。「異なる意見や視点、経験や背景などについて真剣に考慮していれば、それまでより深く正確に世界を把握することができるはずです」。
この本のメインテーマは多様性です。 考え方が異なる人々の集団がもたらす大きな力を様々な角度から検討している。この多様性の力について今ピンとこない人もいるかもしれない。「そもそも何か問題を解決しようというときに重要なのは正しく考えることであり人と違った考え方をすることではない。異なる考え方が必要になるのは周りの人々が間違っているときだけだ。周りが正しいのにそれと違う考え方をしていたら失敗につながるだけそれが当たり前」そう思っている人が多い 。
CIA の専門家は洞窟に住んでいるようなビンラディンやアルカイダについて国の資金や人員を投入しさらに詳しく調査しようとはとても思えませんでした。 CIA にとってビンラディンは時代錯誤な存在でしかなかったのです。
しかしイスラム文明に詳しい人間から見たらどうだろうか、 ビンラディンは質素な姿で洞窟にいたが、決して現代社会に遅れを取っていたわけではない。彼は自分自身をイスラムの預言者神の使徒のイメージに重ねていた予言者にならって断食の行っていた。彼の佇まいは西側諸国の人々には原始的と写ったが、イスラム教徒には預言者の聖なる姿を彷彿とさせた 。CIA に取るに足らないと思わせたイメージはアラブの人々にとってビンラディンの存在をこれでもかと知らしめるものに他ならなかった。
米情報機関専門の研究者がこう指摘する。「 CIA は危険を察知できませんでした。当初から彼らの視点にはブラックホールのような酩酊があったのです。 CIA の判断を鈍らせた原因はもう一つあったという.。ビンラディンは自身の声明を出したいとき詩の形式にするのを好んだ。
例えば、2000年に米海軍の駆逐艦航路に自爆攻撃を仕掛けた後は次のような詩を読んでいる。「船が傲慢さや見せかけの力とともに船出し破滅に向かってゆっくりと波間に向かって進んでいく。その船を小さなボートが波に揺られながら待っている。アデンでは、若い男たちが聖戦のために立ち上がり、強きものから恐れられている破壊者を滅ぼした。」これは勝利宣言以外の何物でもない。CIAはこの詩を理解出来なかったのです。
1998年事件でもパシュート語(アフガニスタンの主言語の一つ)を話す捜査官は一人もいなかった。これらの状況は9.11に関する調査委員会の不可解な報告内容を裏付ける。
CIA の職員は個人個人で見れば高い洞察力を備えているが 、集団で見ると盲目だ。
そしてこのパラドックスの中にこそ多様性の大切さが浮かび上がってくる。
著者は多様性を阻害する要因に2つあると指摘する。一つはフィルターバブル、もう一つは エコーチェンバーだ。バブルのグループの中では同じ統一的意見が醸成され、盲目となる。
これはわかりやすいが、問題は後者にある。
エコーチェンバーの内側の人々にとって、反対派の意見は新たな情報ではなく、フェイクニュースでしかない。反対派の提示するデーターは、その一つ一つが自分自身を「正当化」する材料になる。その結果、両者の溝は深まる一方だ。
哲学者のC・チ・グエンは次のように指摘する。「いわば精神的柔道だ。注意深く築き上げられた信念という道場で、相手の力や勢いを利用して組み伏せる。彼らの孤立は隔離によるものではなく、だれを権威とするか、何を信頼できる情報とするかで決まる。外部の声を聞きはするものの、意見を変える材料には決してならない」。
哲学者グエンは更に続ける。「エコーチェンバーは反対意見の信用を貶める空間だ。そのため外部の情報が次々と流れ込んでくる状態でも存在し得る。外の意見に多く触れることは一切禁じられていない。反対意見の信用を落とすメカニズムがうまく働いている限り、外の情報に多く触れれば触れるほど、逆に内部の人間の忠誠を高められるからだ」。
最近のTVに出てくるコメンテーターや学者はもっと悪質です。フィルターバブルと エコーチェンバーを都合よく使い分ける術に長けているのです。
自身の希望的観測や感情的憶測を隠す術を知っている。それは「一方的」と云う言葉だ。相手が正しいことを云っていても「一方的」の一言で片付けてしまう。これを枕詞のように多用する。そして彼らの目的は相手をねじ伏せることです。
多様性を否定するものは、多様性からの逆襲を受けます。ブーメランとは、天に向かって唾を吐いて自身の顔に降りかかる事を云います。
この本は結びとして次のように書いています。「本書ではここまで、CIAの大失態、エレベスト山頂でのロブ・ホールの勇敢な行動、キャスター付きのスーツケースの数奇な歴史、政治的エコーチェンバー現象など様々な題材を取り上げてきた。また、イノベーションを起こすには頭の良さよりも社交性がポイントになること、更に食事療法の矛盾や1940年代の航空事故などの事例を通して平均値にとらわれると個人が見えなくなる怖さも見てきた。
どの問題もみな、指し示していることは同じだった。多様性の力、もしくはそれを軽視することの危険性だ。組織や社会の繁栄は、個人個人の違いを活かせるかどうかにかかっている。賢明なリーダー、政策、デザイン、科学的探究などによって多用性をうまく活用できれば、組織にも社会にも大きな恩恵がもたらされるであろう」。
私の心配は、エコーチェンバーの危険性が日本のリベラル派に、より多く存在していることです。社会的影響力も強く、左翼と比較して、より大きな危険をもたらすことを危惧しているのです。